出雲大社・本殿裏(いずもおおやしろ・ほんでんうら)
◆ミステリアス総合評価 ★★★★
神秘性 | ★★★★★ |
歴史性 | ★★★★★ |
畏怖性 | ★★★★ |
癒し性 | ★★★ |
アプローチ難易性 | ★★ |
◆ REPORT
縁結びで知られる出雲大社。旧暦の10月には全国から神様が、出雲大社にお集まりになり神議を行うと言われている。ここ出雲の地は10月を「神在月」と呼んでいる。出雲大社にお参りしたら恋人ができた…とか、結婚した…などの話をよく耳にする。信じる人のみ願いが叶うようである。
出雲大社には大国主大神(オオクニヌシノミコト)が祀られている。大国主大神は「大黒様」と呼ばれ親しまれ、「因幡の白兎」の神話でウサギを助けた話は有名だ。その大国主大神は日本の国を開拓した神様で、「日本書紀」によると日本民族の大親神である天照大御神(アマテラスオオミノカミ)に、国を譲ったお礼に天日隅宮(あめのひすみのみや)、すなわち出雲大社を造ってもらい、天穂日命(アメノホヒノミコト)を仕えさせたと言われている。ウサギを助けたやさしい神かと思えば、大きな神社を造らせたという大国主大神。また出雲国風土記には大国主大神の名が出ないのも、また神話の不思議なところである。
瑞垣にある本殿正面の八足門は閉ざされていて、そこから本殿の様子は見えない。門にはウサギやら椿などの彫刻が施されていている。だいこく様だからウサギなのだろうか??
その門からなぜか右回りに足が進んだ。あとで一周して分かったのだが八足門の左右に同じ形の十九社がある。十九社とは十九の窓が付いていて、神在月の時に全国の神様がここでお泊りになるという。その時は窓が開かれ神在祭という祭りがある。祭りといっても静粛で厳かなもので、稲佐の浜へ神々を迎えに行くところから始まり、神々が会議をされている時は静かに過ごさなければならないなど、俗世間に生きるものには交わりのない世界である。いくら世の中が慌しく、毎日いろいろなニュースが飛び交おうが、ここはそんな雑念はなく、雲の上にいるような感覚すら思う。
出雲大社には大国主大神(オオクニヌシノミコト)が祀られている。大国主大神は「大黒様」と呼ばれ親しまれ、「因幡の白兎」の神話でウサギを助けた話は有名だ。その大国主大神は日本の国を開拓した神様で、「日本書紀」によると日本民族の大親神である天照大御神(アマテラスオオミノカミ)に、国を譲ったお礼に天日隅宮(あめのひすみのみや)、すなわち出雲大社を造ってもらい、天穂日命(アメノホヒノミコト)を仕えさせたと言われている。ウサギを助けたやさしい神かと思えば、大きな神社を造らせたという大国主大神。また出雲国風土記には大国主大神の名が出ないのも、また神話の不思議なところである。
〜三重の垣が物語る出雲大社本殿とは〜
現在の出雲大社の本殿は高さ約24mで、1744年に建てたと言われ、大社造りで国宝に指定されている。本殿は3つの垣に囲まれていて、本殿に一番近い玉垣、一番外側の荒垣、そして中央には瑞垣があるが、現在一般人は瑞垣から本殿内には入れないようになっている。瑞垣にある本殿正面の八足門は閉ざされていて、そこから本殿の様子は見えない。門にはウサギやら椿などの彫刻が施されていている。だいこく様だからウサギなのだろうか??
その門からなぜか右回りに足が進んだ。あとで一周して分かったのだが八足門の左右に同じ形の十九社がある。十九社とは十九の窓が付いていて、神在月の時に全国の神様がここでお泊りになるという。その時は窓が開かれ神在祭という祭りがある。祭りといっても静粛で厳かなもので、稲佐の浜へ神々を迎えに行くところから始まり、神々が会議をされている時は静かに過ごさなければならないなど、俗世間に生きるものには交わりのない世界である。いくら世の中が慌しく、毎日いろいろなニュースが飛び交おうが、ここはそんな雑念はなく、雲の上にいるような感覚すら思う。
〜神々に守られている本殿〜
瑞垣内には本殿を守るように小さな社がいくつも建っている。一つ一つの社に役割があるのだろう。文献を読むとその社の一つ「御向社」は大国主大神后である須勢理比売命(スセリヒメノミコト)が祀られ、大国主大神の国造りを内助の功で助けたと言われている。また、天前社は大国主大神の大やけどを治した二人の女神が祀られ、もう一つの筑紫社も福岡にゆかりのある女神が祀られている。「神」でありながらどこか人間身のあるところに親近感が湧いた。本殿は威風堂々とした佇まいで、「おおやしろ」と呼ぶにふさわしく、大きく、立派で全国の神々が集まるだけの神社である。本殿内は畳敷きで天井には雲の絵が描かれているらしい。これは松江の神魂神社と同じものだそうだ。西向きにご神体が祭られているようだが、その正体やいかに…。古代からある神社のご神体は石なのだろうか? めのうだろうか?…そんなことを思いながら本殿を横目に先へ進む。さて、瑞垣の外は石畳の参道になっていて、参道沿いにもいくつかの社があり、それは男神の社であることは想像できた。本殿の裏手に差し掛かると大木が生い茂り、さっきまでの重々しさがなくなり癒しの空間へと変わる。きつい日差しも木漏れ日となり、体に心地よい。本殿の裏が本当は表なのではないか…と思うくらいだ。本殿のちょうど真裏に社がひっそりと建っていた。それは素鵞社といって、大国主大神の父神である素鵞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られている。鎌倉時代から江戸時代初期までは出雲大社の祭神であったといわれ、1667年に本殿から奉遷されたそうだ。出雲国風土記では素鵞鳴尊がよく登場する。
2007年3月に開館した古代出雲歴史博物館では出雲大社をはじめ、古代出雲の魅力が詰まった資料や出土品(荒神谷遺跡の銅剣から加茂岩倉遺跡の銅鐸まで…)、また出雲大社の3本柱も展示されている。古代の出雲大社の本殿のイメージ模型もあり、いろいろな角度から「出雲大社」が想像できておもしろい。
神々が集まる出雲大社。ここに参拝すると願い事が叶うと言われるのは、出雲が太古から神の地であり、また信じる心が神々に届くからであろう。ここを訪れた者にだけ与えられる神のご加護である。
〜御柱発見で古代の本殿を謎解く〜
出雲大社の本殿と言えば、2000年に発見された巨大柱(1本約1.4mの柱が3本束ねたもの)が世間を驚かせた。調べによると1248年の本殿と成分や平面などが一致しているという。出雲大社の社伝では、古代の本殿は高さが96mあったと言われ、中古には48mだったと記されている(ちなみに東大寺の大仏殿は45m)。本殿は高床式でとても高かったために200年で7度も転倒したという記述もある。3本柱を見たことがあるが、それは現在ですらまれに見ない大きな柱で、それを3本束ねた形になっているのは相当丈夫に本殿を作ろうとしていたに違いない。素人なので高さ云々…のことは分からないが、ここが「出雲」という地名から…雲を突き出る高さの神殿がここにあったのだ!と想像は膨らむばかりである。2007年3月に開館した古代出雲歴史博物館では出雲大社をはじめ、古代出雲の魅力が詰まった資料や出土品(荒神谷遺跡の銅剣から加茂岩倉遺跡の銅鐸まで…)、また出雲大社の3本柱も展示されている。古代の出雲大社の本殿のイメージ模型もあり、いろいろな角度から「出雲大社」が想像できておもしろい。
神々が集まる出雲大社。ここに参拝すると願い事が叶うと言われるのは、出雲が太古から神の地であり、また信じる心が神々に届くからであろう。ここを訪れた者にだけ与えられる神のご加護である。
【 スポットの情報はこちらもご覧下さい。 】
お問い合わせ先 | 0853-53-3100 出雲大社(出雲國神仏霊場 第1番) |
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所在地 | 島根県出雲市大社町杵築東195 |
アクセス | 一畑電車「松江しんじ湖温泉駅」より「出雲大社前駅」まで1時間。 「出雲大社前駅」より歩いて3分。 松江市より車で1時間。出雲市より車で20分。 出雲空港より車で30分。 |
太古から出雲にそびえ立つ大社(おおやしろ)のスケールと、ひも解かれる古代の魅力