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城山稲荷神社(じょうざんいなりじんじゃ)
ひときわ目を引く紅色の鳥居。おびただしい数の石狐。小泉八雲が好んだ異空間、城山稲荷神社。
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◆ミステリアス総合評価 ★★★

神秘性★★★★

歴史性★★★

畏怖性★★★★

癒し性★★

アプローチ難易性★


◆ REPORT

松江城山内をのんびり散策できる遊歩道がある。椿谷や梅林では緑浴も楽しめ、またお堀端では水鳥や亀が日向ぼっこをしている姿が見える。その遊歩道のルート途中に稲荷神社がある。かつて武士や馬が通っただろう細い露地の傍らに、誰もが目を引く紅色の鳥居。モノトーンの松江城、鎮守の森の趣を思うと、その「赤」はどこか異様にもある。いくつも並ぶ赤い鳥居のその奥に何があるのか・・・引きずり込まれるかのようにそちらへと足が向く。


〜謎の美少年〜
1638年、家康の孫である松平直政が松江に来たとき、枕元に一人の美しい少年が現れたという。その少年は「私はあなたを全ての災厄からお守りする稲荷真左衛門です。城内に私の住む場所をお作りくださるなら、城内の建物はもちろん、江戸のお屋敷まで火事からお守り致しましょう」と告げて消えた。そこで直政は城内に稲荷神社を建てたと言われている。そのことからここの神札は火難除けとして、町中のどの家にも貼られていたようで、小泉八雲(ラフカディオハーン)もこの神札が「松江の唯一の防火設備」と話をしている。言わば一枚の紙きれが魔除けになる・・・そんな日本人の信仰心は八雲にとって衝撃的だったようだ。きっと枕元の謎の美少年が、今でも約束どおり松江城、そして松江の町を守っているに違いない。


〜大小無数の石狐〜
そんな不思議な逸話が残る稲荷神社には千匹もの石の狐が社を囲むように座っている。石狐は風化して苔むし、眼がないものや、ぼんやりと狐の形が分かるものや、大きいものから小さいものまで・・・さまざま。なぜこんなに石狐があるのだろうか? 火難から守られた人たちがお礼の意を込めて狐を置いていったのだろうか? そんなことを思いながら数えきれない石狐に囲まれて佇んでいると、誰かに見られているような気配を感じる。まるで自分が怪しい人物になったかのようだ。狐に見られているのか? 枕元の美少年がここにいるのか? ただ参拝に立ち寄っただけなのに・・・。降りかかってくるそんな錯覚を払いよけながら石壇を一歩ずつ下ると、異空間から現実へやっと戻った気がした。


〜八雲と稲荷神社〜
小泉八雲は城山内の散歩が好きで、稲荷神社にも毎日のように通い、お気に入りの石狐があったと言われるほど。その当時は今の倍、2千匹もの石狐がいたらしいから、ここの「気」の強さも想像を絶するでものであったに違いない。日本の文化、松江の情緒をこよなく愛した八雲には稲荷神社はとても神秘的な場所であった。八雲は愛妻セツやいろいろな人から怪談や昔話を聞いて、それを自分の六感で感じ取っていた。ここ稲荷神社も八雲の感性に合った場所の一つであり、もしかしたら・・・こうして人知れず、狐と毎日対話をする中から、インスピレーションを感受していたのかもしれない。


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