当地の地主の家で1750年頃の建物。
2段になったなまこ壁や親子格子が威容を誇っています。奥座敷は江戸時代、松江藩主の御成座敷として造られたもので、主室10畳は床、棚、書院が整い、格式ある書院造りの形式を見せ、また柱や長押(なげし)、竿縁(さおぶち)には杉の面皮材が使われており、「数寄屋普請(すきやぶしん)」の手法が施されています。
(写真キャプ)
(上左)切り妻入り土蔵造りと親子格子 (上右)土間の上は天井がなく屋根からは採光が (中)御成座敷 (下左)提灯箱 (下右)あがりはなの間
本石橋家とは?
家主である石橋孫八(弘化4年〜大正4年)は、明治5年に自宅を校舎として郷校を開校し教育の推進に努めました。
孫八はその後、衆議院議員となり政界でも活躍。
孫八の子でもある石橋正彦は県会議員、平田町長も務めるなど地方行政に功績があり、愛宕山には石橋正彦の胸像が立っています。
このことからも本石橋家は歴代、地域の近代化に活躍した人物を輩出してきたことがよくわかります。
古風な佇まいとの巧みな調和
日本庭園も必見!
奥座敷の東西には庭園「そうのにわ(前庭)」と「ぎょうのにわ(後庭)」があります。
屋敷内に造られた奥座敷や茶室などと見事に融合。庭石をやや高めに据えるなど、この地方独特の庭園造りの手法を今に伝えています。
民の信頼も厚かった本石橋家
その象徴が庭園に据えられた扇形の石
また、「ぎょうのにわ(後庭)」に据えられた庭石の中でも特に異彩を放つ大きな扇形の石。この石には実は感動のドラマが隠されているのです。
当時、小伊津漁港からの各方面への荷物の運搬には交通の難所ともいわれる様々な複雑な地形を通らねばなりませんでした。
そんな地元民の苦悩を知った石橋孫八が、旧小伊津トンネルを開通。それに喜んだ漁協関係者たちが石好きとして知られる孫八に贈ったのがこの扇形の石だったそうです。