◆ REPORT
〜人食い大亀の伝説〜
城下町、松江をこよなく愛した小泉八雲ことラフカディオ・ハーン。彼は妻の小泉セツが、夜な夜な語り聞かせる怪談を数多くの著書に残した。ここ月照寺にいる大亀の石像もハーンの随筆に登場する。このような話で・・・・。
松平家の藩主が亡くなった後、亀を愛でていた藩主を偲んで大亀の石像をつくった。ところが、この大亀が夜になると城下で暴れ人を食らうようになった。困り果てた住職が深夜、その大亀に説法をすると、大亀は涙を流して住職にこう頼んだという。「わたしにもこの奇行を止められません。貴方にお任せいたします」。そこで亡くなった藩主の功績を石碑に彫り込み、その石碑を大亀の背中に背負わせてこの地に封じ込めたと云う。
また、こんな口承も伝わっている。
1760年頃、月照寺の池に住んでいた亀が、夜になると妖力を使って大きくなり、寺を抜け出しては城下の子供をさらって食い続けた。それを知った寺の住職は大きな亀の石像を造らせて、かつての藩主の墓所に安置したところ、池の亀は悪さをすることが無くなったと云う。
〜頭を撫でて長寿祈願〜
月照寺の境内で、無気味な怪談が伝わる大亀の石像を見つけて驚いた。本当に大きいのだ。こんな巨体な亀が夜な夜な暴れるとは、城下の人々はさぞや恐怖に震えたことだろう。背中に背負っている石碑は、いわば大亀のパワーを抑える封印といったところ。奇妙な格好であるが、何故か畏敬の念が起きてくる。
月照寺は松江藩松平家の菩提樹で、9代目までの御霊が葬られている。大亀を封印している石碑は、不昧公として知られる7代目治郷(はるさと)が、父である6代目宗衍(むねのぶ)の長寿を祈願して奉納したものだ。石碑に使われた石は出雲市平田の山奥から伐り出し、イカダに乗せて宍道湖と堀川経由して運んだそうだ。月照寺の山門まで、わざわざ堀を削ってイカダを引き入れた跡が現在も残っている。
父の長寿を願う息子の祈念を宿したこの大亀は、今では頭をなでると長生きができるとされる。大亀が首を伸ばした口先は、大人の背丈ほどもあるので、頑張って腕をあげないと頭まで届かない。手を伸ばして撫でようとしたが、今にも動き出しそうな気がして思わず「南無阿弥陀仏」と呟いてしまった。
近くには、大亀が水を飲みに来たと伝わるハス池もあったが、こちらもひっそりとしていた。
〜目撃される人魂〜
月照寺は6月になると、あじさいが3万本も咲き誇ることから「あじさい寺」と呼ばれて親しまれている。シーズンともなると多くの観光客が訪れて賑わう。
とは言っても平日はあまり人の気配もなく、不気味さが先に立つ。とくに古い石灯籠がずらりと並ぶ場所は、妙な息苦しさを感じるくらいだ。聞くところによると、夜中になると人魂がよく目撃されるらしい。
月照寺の名のように月光に照らされる満月の深夜、石の大亀は封印を解き放され、のそのそと境内を動き出す。そんな光景も目に浮かぶ古刹である。
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