◆ REPORT
鰐淵寺には紅葉シーズンに一度行ったことがある。もみじの大木がいくつもあり、とても綺麗だったことを思い出す。また遊歩道もあり落ち葉の絨毯をサクサクと歩くのはとても心地よく、有意義なひと時を過ごした覚えがある。
出雲市の平田町から北へ上がると日本海へ出る。その日は天気が良かったので海も荒れた様子がなく、絶好のドライブ日和だった。日本海を見ながらのドライブもつかの間、また南へ折り返し、山の中へ入る。遠い記憶をたどり、ゆっくりと鰐淵寺を目指すが、だんだん道は狭くなり車も一台しか通れない。天気が良いのにうっそうとした山は薄暗く、気温もひんやりしてきた。
第一駐車場について案内看板を見る。しかし本堂はまだまだ先のようだ。周りを見回しても観光客すら、参拝客すらいなく静まりかえっている。行けるところまで車で行こうと、ハンドルを握った。道はまた一段と狭くなる。片側は切り立つ崖、反対側は谷となり、苔むした岩の間を水が滑り落ち、余裕があればその趣を満喫できたのであろうが、川に落ちないように、対向車が来ないように・・・とハンドルを握りしめる方が先であった。仁王門が見えてホッとした。実はここへ来るのに2つのルートを試みたが、山崩れで道が全面通行止めで2度も引き返していた。
〜山深い滝にワニが?!〜「鰐淵寺」は一見読めない。伝承では推古2年(594年)、信濃の智春上人が推古天皇の眼の病を直すべく、ここの浮浪の滝に祈り、見事平癒したことから、推古天皇の勅願寺としてこの寺を建立されたと言われている。また智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしていたら、滝壺に落とした仏器を鰐(ワニ)が鰓(エラ)に引っ掛け奉げたという。それが「鰐淵寺」の名の由来となっているという。その浮浪滝には蔵王堂があり、かつてこの寺に多くの僧が修行に来たことが伺える。滝へ行く道は険しく、石の上を歩くと滑りやすいので、どうしても滝を見たければ履物との相談が必要になる。
車から降り境内へと向かうと、人っ子一人いない静寂な空気が漂う。新緑や紅葉シーズンの賑やかさを思うと、すこしもの寂しささえ覚え、自然と早足になって本堂への道を急ぐ。まっすぐに石段が続き、その脇には枯れたもみじの葉が秋の紅葉の頃の賑わいの名残となり、鳥たちのさえずりが山に響きわたっている。
〜鰐淵寺にも伝わる弁慶伝説〜ここには弁慶伝説がある。1151年に松江に生まれ、18歳から3年間鰐淵寺で修行し、その後、姫路、比叡山へ渡り、源義経の家来になって壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後、この鰐淵寺に戻ったと言われている。この寺の釣鐘はその弁慶が大山寺から一夜でここへ持ち帰ったものだとの伝承があり、銅鐘は国の重要文化財に指定されている。
この寺は南北朝時代、また戦国時代にも政権争いに関わった寺である。神仏の神秘的なものというより、この静寂感は人間の悲しい性が漂っている故かのように感じられた。山深く自然があふれ、澤の音も綺麗に聞こえ、空気も澄んでいるにも関わらず、何故か帰路を急ぎたく思ったのは、人の念が強く感じられるからかも知れない。
春から秋への光り輝く季節と冬との、想像できない程のギャップ。冬の1日の体験が、今度この寺を訪れるとき、また新しい感慨を与えてくれるかも知れない・・・そんなことを思いながら、元来た道を戻った。
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