◆ REPORT
あのスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏が「現代に残る聖地」と言った須佐神社。彼の目に映った「聖地」とはどういうところなのか、ここ山陰はそこら中が「神々のいます聖地」ばかりだと思っているのだが、特にここ須佐神社はどう違うのか。興味をそそられる。
出雲国風土記によると、須佐之男命(素戔嗚尊:スサノオノミコト)が諸国を開拓し須佐に来て、最後の国造りをした際「この国は小さいけれどよい国なり、我名を岩木にはつけず土地につける」と言われ「大須佐田」「小須佐田」と定めたそうだ。そして自分の御魂を自ら鎮められたと、すなわち一生をこの地で終えられたと言われている。
神社の周りには民家、商店が立ち並び、神社を中心に町が形成されている。鳥居をくぐり境内に入ると神門も拝殿も目に入るのだが、嬉しかったのは神楽殿があったことである。神楽は神社によって話しや踊りが少しずつ違う。大蛇も蛇の形をしてとぐろを巻くダイナミックなものから、1つの面に16の目(8つの大蛇の目)がある恐いものまでさまざま。須佐之男命といえば八岐大蛇退治の話が有名で、神楽に出てくるヒゲの面を思い出す。各地で国造りをし、大蛇を退治する力強い神様だったと想像できる。
須佐神社は風土記にも出てくる古いもので、今の本殿は450年前に尼子晴久の時代に建て替えられた大社造で、県の重要文化財になっている。本殿の真後ろに「須佐の大杉」という杉の大木がある。樹齢は約1200年といわれ、周囲が7m、高さが24mもある。この神木を前に思わず手を合わせたのは、須佐之男命が今もなお、この杉の巨木と化してこの地に生きているとしか思えなかったからである。
〜須佐神社の七不思議〜
また、この須佐神社には七不思議がある。
1・塩井(しおのい)
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたといわれている。この塩井は出雲大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間渇があるのは潮の干満に関係があるからだとか。内用浴用に使うと元気になるという。
2・神馬(しんめ)
神社に奉献された馬は、どんな毛色の馬でも年を経るに従って白馬に変わるという。吉凶禍福(良いこと悪いこと、災いと幸せ)や国の大事を予知するといわれている。
3・相生の松(あいおいのまつ)
本殿の裏に雄松、雌松が一本になった松があった。今は枯れてなくなった。
4・影無桜(かげなしさくら)
昔、隠岐の国で稲が実らないときがあった。その原因は須佐大宮の境内の大きな桜が隠岐に影をもたらしたからということだった。桜を切ったことにより隠岐に稲が実るようになったが、その切り株から生えた桜は枯れずに今も残っている。
5・落葉の槇(おちばのまき)
須佐之男命の妃神である稲田姫がお産をされたあと、産具を槇(柏)の葉で包み、それを松の葉で綴って川に流した。それが、流れ着いたところに「槇と松」が生えたという。
6・星滑(ほしなめら)
須佐の中山の頂上あたりに、白い斑点がある岩盤がある。それが白く輝いて光が大きい年は豊作、光が小さい年は不作だという。
7・雨壺(あまつぼ)
神社の西を流れる素鵝川をずっと下った田の中に岩がある。その岩の穴をかき回すと須佐大神の怒りで洪水が起きるといわれている。
各地にいろいろな言い伝えはあるが、こうして七つもの不思議な話を突きつけられると、須佐の地には良くも悪くも目に見えぬパワーや念があり、「聖地」であることの証として思わず納得してしまう。しかし、霊感に疎い一般人から見る須佐は、山の谷間にあり緑豊かで、素鵝川のせせらぎが心地よく、今で言うマイナスイオンがたくさんある癒しの場である。そういった視点では、須佐之男命がこの地を絶賛し、霊魂を眠らした理由がここに来てとても良く解った気がした。
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