◆ REPORT
出雲大社〜日御碕灯台はこの辺りの観光コースになっている。日御碕神社はその道中にあり朱の神殿が目を引くので「あそこはなんだろう?」と誰しも思うはずである。思うだけで足を運ぶことはなかったのだが、今回は念願かなって行ってみることにした。
海岸線を走ると日本海が美しいので、思わず見とれてしまいハンドルが緩む。そういう人が多いのか、途中には展望台や駐車スペースが確保され、海のパノラマを見ることができる。またトンネルを掘ったために使わなくなった海岸線の道が遊歩道になっていて、そこで潮風浴を楽しむ人も結構いた。
〜海に映える朱色の神社〜
小さな海辺の町に、立派な神社が見えてきた。鳥居をくぐると出雲国風土記登場地「美佐伎神社(みさきのじんじゃ)」と書いてある。「ここも風土記か〜」と、出雲国風土記を作った出雲の長に感謝である。古代人にとって神に祈りを奉げる「神社」は生活の一部で、生きるために大切なものだったに違いない。それを物語っているのが神殿の朱色である。風土記に出ている神社は後世に建て替えられたものが多く、そのころの「朱」色は現在はがれて落ちているものが多いが、日御碕神社は今も厳格さに満ちた光明を放ち、昔のままの姿や色を保っていた。
〜夕日が美しい日没の宮〜
神門をくぐると立派な拝殿が正面に見える。一方、右側の高台にも拝殿が見える。良く見ると正面は日沈宮で天照大御神(アマテラソオオミノカミ)が祀られていて、右側は神の宮で素盞嶋尊(スサノオノミコト)を祀っている。2つの神が鎮座しているのは珍しい。
文献によると、素盞鳴尊が柏の葉占いで『吾が神魂はこの柏葉の止る所に住まん』と言い投げたところ、美佐伎の隠ケ丘に止まり、素盞鳴尊の神魂を祀ったとか。
また日没の宮は、初めは日本海に浮かぶ経島に鎮座していたが、それを村上天皇(天暦2年)がこの地に移されたようである。大きさから言うと日没の宮が大きいが、高さから言うと神の宮が高い。どちらにも敬意を払っているのだろう。
また、「日の出る所(東)が伊勢大神宮で日の本の昼を守り、日没の宮(西)を日御碕大神宮として日の本の夜を守る」との記述も残っている。たしかに、この神社は西にあり夕日が綺麗に沈む所ではあるが、「夜を司る」や「山陰」という地方名にしても、闇のイメージなのは地元人として寂しい。東(伊勢)から見て西(出雲)は何かを封印したり、隠しておかなければならないものでもあったのだろうか? そのダークなイメージを打ち消すかのように、今もなお「朱」の鮮やかな神社が鎮座している。
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