山陰観光 旅のポータル
出雲大社 北島国造家まえの旧参道(きたじまこくそうけまえのきゅうさんどう)
出雲大社通ならば北島国造へも参拝を。大社のもう一つの神聖地。
最終更新日:%FOLDERLASTUPDATE%

◆ミステリアス総合評価 ★★★

神秘性★★★

歴史性★★★★

畏怖性★★★

癒し性★★★★

アプローチ難易性★


◆ REPORT

毎年、正月に出雲大社へ初詣に行く。本殿の西にある大駐車場から手水舎へ向かい手を清めてから銅鳥居をくぐる。松並木の参道を通らないのがいつも残念なので、銅鳥居をくぐると後ろを振り返り立派な松並木に見とれながら拝殿へ、そして本殿へ向かう。いつもは本殿の八足門は閉められているが、正月は門が開かれ参拝することができる。本殿の近くへ行けるだけでも正月早々、縁起が良い。しかし、自分の場合、本殿だけで初詣は終わらない。必ず東にある出雲国造北島家の出雲教へ参る。


出雲国造は初代・天穂日命(あめのほひのみこと)から始まり、409年、17代のときに出雲の姓を受けてから55代まで出雲氏が受け継いできた。56代のときに後継者問題があり、「千家」と「北島」に分かれ平等に職務を分担した。しかし、明治15年の神官教導職兼帯が禁じられ北島家は「出雲北島教会」を設立。その後、明治18年に「神道出雲教」と改め、昭和27年に宗教法人「出雲教」を設立した。


〜もう一つの出雲国造〜
実は自分がここ出雲教で結婚式を挙げた…という理由もあるが、それだけで毎年参拝する訳ではない。出雲大社本殿の初詣といえば、人が多くて賑やかで活気があふれている。しかし、ここは静かで凛とした空気が新年の匂いに合い、新鮮で身が引き締まる。本殿とは違った趣があることが何よりの理由だ。


神殿を参拝したら庭園にある心地池へ向かう。庭園は芝生になっているため子どもが走り回り、時にはゴロゴロしていて楽しそうだ。そんな開放的な庭園の奥には天満宮と天神社が別々に池の中の小島にあり、そこへ行くのには少し勇気がいる。木陰にあるので湿った空気が漂い、社の裏には亀の尾の滝があり、その水しぶきの音が恐怖心をかきたてる。天満宮は造りこそ小さな社ではあるが、どこか人を寄せ付けないような威厳を放っており、そこへは小さな橋を渡る。そしてドキドキしながら橋を渡り、お参りして無事(・・・・まで)戻って来られるとなぜかホッとする。橋を渡る、結界を超える・・・と言うことの意味を、いつもここで胸元に突きつけられる気がする。こうして神域を強く意識することで、古より人は自ら生きる意味を問うてきたのに違いない。


一番奥には御三社(荒神社、天穂日命社、稲荷社)があり、そこから正門へ行く参道は大木が立ち並び地面は苔むしている。これぞ日本の美!と一歩一歩踏みしめながら参拝する。これで出雲教を一周した訳であるが、ここで終わらない。最後は、出雲教の大門まで戻り一歩外の道へ出る。ここは神事に使われる「真名井の清水」のある「社家通り」と言い、神官の住宅がある。見るからに立派な屋敷が並んでいて今はひっそりとしている。観光客向けではない、知る人ぞ知る道で、大社に来たのならここまで来なければ意味がない。社家通りを歩きながら思う。大社の本当の歴史は賑やかなツアールートで語られるのではなく、静寂なるこの道こそが物語っているのだと。
◎トップページ
Copyright (c) 山陰ポータルサイト運営会議 All right reserved.