さて、瑞垣の外は石畳の参道になっていて、参道沿いにもいくつかの社があり、それは男神の社であることは想像できた。本殿の裏手に差し掛かると大木が生い茂り、さっきまでの重々しさがなくなり癒しの空間へと変わる。きつい日差しも木漏れ日となり、体に心地よい。本殿の裏が本当は表なのではないか…と思うくらいだ。本殿のちょうど真裏に社がひっそりと建っていた。それは素鵞社といって、大国主大神の父神である素鵞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られている。鎌倉時代から江戸時代初期までは出雲大社の祭神であったといわれ、1667年に本殿から奉遷されたそうだ。出雲国風土記では素鵞鳴尊がよく登場する。
〜御柱発見で古代の本殿を謎解く〜
出雲大社の本殿と言えば、2000年に発見された巨大柱(1本約1.4mの柱が3本束ねたもの)が世間を驚かせた。調べによると1248年の本殿と成分や平面などが一致しているという。出雲大社の社伝では、古代の本殿は高さが96mあったと言われ、中古には48mだったと記されている(ちなみに東大寺の大仏殿は45m)。本殿は高床式でとても高かったために200年で7度も転倒したという記述もある。3本柱を見たことがあるが、それは現在ですらまれに見ない大きな柱で、それを3本束ねた形になっているのは相当丈夫に本殿を作ろうとしていたに違いない。素人なので高さ云々…のことは分からないが、ここが「出雲」という地名から…雲を突き出る高さの神殿がここにあったのだ!と想像は膨らむばかりである。
2007年3月に開館した古代出雲歴史博物館では出雲大社をはじめ、古代出雲の魅力が詰まった資料や出土品(荒神谷遺跡の銅剣から加茂岩倉遺跡の銅鐸まで…)、また出雲大社の3本柱も展示されている。古代の出雲大社の本殿のイメージ模型もあり、いろいろな角度から「出雲大社」が想像できておもしろい。
神々が集まる出雲大社。ここに参拝すると願い事が叶うと言われるのは、出雲が太古から神の地であり、また信じる心が神々に届くからであろう。ここを訪れた者にだけ与えられる神のご加護である。
【
スポットの情報はこちらもご覧下さい。 】