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荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)
荒神谷から出土した385本の銅剣が物語ることとは。神名火山を崇める古代人の祈りなのか?!
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◆ミステリアス総合評価 ★★★

神秘性★★★

歴史性★★★★

畏怖性★★★

癒し性★★★

アプローチ難易性★★


◆ REPORT

荒神谷史跡公園は斐川町から宍道町を結ぶ農道沿いにある。その公園には2,000年前から咲いていたという「古代ハス」が、初夏に約50,000本も開花する。個人的にハス=観音様のイメージがあるので、ハスの花を見ると幸せな気分になる。そんなのんびりとした憩いの公園ができたのは、この場所から古代の銅剣、銅鐸が出土したからだ。


〜日本初の大発掘〜
昭和58年に広域農道の建設の調査で、一片の土器が見つかった。それは古墳時代の須恵器で、それをきっかけに発掘調査が始まった。そこからそれほど離れていない山の斜面から358本の銅剣が出土。そして7mしか離れていない場所で銅鐸(6個)と銅矛(16本)が出土した。その当時調査に関わった人からの話では、銅剣が見つかった場所は明らかに土が盛られていた形跡があったと。こんなに大量の銅剣を発見した人は身震いがしただろう。今まで日本で発見された銅剣の総数より、ここ一箇所で発見された銅剣の数の方がはるかに多いそうだ。銅剣は弥生時代に武器として大陸から入ってきたが、日本で作られたものは祭器として用いられていた。銅鐸は神を招く鐘として祭器に使われていた。そう考えると、銅剣が埋められていたのは何かの祭か儀式の名残かもしれない。


〜神名火山を中心とした古代文化〜
荒神谷遺跡のある場所は仏経山(神名火山)を仰げるところにある。たたりがこわいと言い伝えのある「荒神」を山に祭っているという伝承もある。また平成13年に3m行った山あいに弥生時代中期後半の集落跡も見つかった。そこから出土した物は荒神谷遺跡で発掘されたものと時期が重なる。この一連の話を聞いて、考古学とはパズルのピースを一つ一つ集めて、その少ないピースから全体像を予想するようなものなのだな・・・と素人ながらに思った。


荒神谷史跡公園は農道をはさんで北と南に分かれている。北側は遺跡や博物館やハスの花畑があり、南側は古代復元住宅やアスレチック、バーベキューができる施設があり親子連れで楽しめる。遺跡を見たいので、今回は北側の公園へ向かった。そこは山あいにあり緑がさわやかで気持ちがちいい。遊歩道が遺跡へと導いてくれた。ここに銅剣が?? と思うくらい急な斜面に埋まっており、今は整備されてはいるが、その当時は山の中を歩いて来たのだろう。なぜここに多数の銅剣が、何のために…謎は深まるばかりである。


また平成8年には荒神谷から3.4kmしか離れていない山向こうの加茂岩倉遺跡から銅鐸が39個発見された。仏教山(神名火山)を中心に多数の遺跡が見つかっており、古代の人の祈りが聞こえてきそうだ。どちらの遺跡も国宝で、考古学から見ても大変重要なところだと言えるだろう。


古代文化、神話、伝承…などがたくさん残る出雲の地。出雲大社のお膝元に島根歴史博物館が平成19年の3月にオーブンした。ここでは荒神谷から出土された385本の銅剣が見られる。もちろん加茂岩倉遺跡の銅鐸も展示されている。事前に博物館でパズルのピースを見て勉強し、それから遺跡に足を向けると自分なりの古代出雲の姿がより膨らみ、古代人が神を崇める祈りがさらに強く伝わってくるに違いない。



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