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粟嶋神社(あわしまじんじゃ)
長寿の神社に浮かびあがる800歳の尼さんの幻影。
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◆ミステリアス総合評価 ★★★

神秘性★★

歴史性★★★★

畏怖性★★★

癒し性★★

アプローチ難易性★★


◆ REPORT

米子市の内浜産業道路を、境港方面に向かって車で走る。小さな丘に、うっそうと茂る森が見えてきた。その森の中に、天空へとつながるような石段も見える。秋月の名勝地としても知られる粟島神社だ。不思議な伝説が数々残る場所でもある。早速、駐車場に車を置いて、参道となる石段を登ってみた。



〜手に乗る小さな神〜
来待石を積み上げた、角度のきつい石段が続く。息を荒げて187段を登り切ると、丘の頂上に出た。標高は38メートル。参道の先には、それほど大きくはない社殿がある。御祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)。大国主命こと大黒さまと共に、国を開いた神だ。『伯耆風土記』によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて、“常世の国”に渡ったことから「粟島」と名付けたとある。もともと、ここは離れ島であったらしい。江戸時代の中頃、陸続きとなったようだ。



神話に登場する少彦名命。この神は手に乗るほど小さく、おとぎ話『一寸法師』のモデルとも云われる。因幡の白兎を助けた大国主命は、医学の神でもあった。少彦名命もまた、医療を人々に広めた神である。ことに、まじないの術に長けて、病に苦しむ人々を救ったと伝わる。今でも地元の信仰は厚く、境内に荒れた気配はない。しかし、どこかもの寂しい。深とした空気に、スピリチュアルなものが漂っている。“常世の国”は、死者の国も指す。この神社も、あの世とつながっているのだろう。



〜無気味な洞穴〜
境内を右に行くと、小さな岩を祀った祠があった。ここでは、とりわけ霊感が高まる。少彦名命が、粟島に上陸した最初の場所と伝わり、聖地とされていた。この祠は「お岩さん」と呼ばれ、祈願によって難病苦難を救われた崇拝者も多いと云う。木造の細い鳥居と、小さな祠。その質素な佇まいが、かえって霊験あらたかな雰囲気をかもしていた。



石段を下りて、丘のふもとに戻る。中海に面した森の海岸近くには、無気味な洞穴があった。ここには、人魚にまつわる次のような伝説が残されている。洞穴の前には、「八百姫宮」と書かれた鳥居。その先に、暗闇へと開いた洞穴。一人では恐怖で入れない・・・・。




「昔、漁師の集まりで、珍しい料理が出たが、誰も気味悪がって食べる者はいなかった。それを一人の漁師が家に持ち帰り、何も知らない18歳の娘が食べてしまった。その肉は、食べると寿命が来ないといわれる人魚の肉だった。何年経っても18歳のままの娘は、世をはかなんで尼さんとなり、粟島の洞穴に入り、物を食べないで寿命を待った。ようやく寿命が尽きて、静かに息を引きとったのは800歳のときだったので、八百比丘(はっぴゃくびく)さんと呼んで、延命長寿の守神として祀られるようになった」



秋月、一寸法師、お岩さん、人魚など、魂の成長を説くスピリチュアリティーの世界に取り巻かれた粟島神社。希有な存在感を放つスポットとして見逃せない。
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