◆ REPORT
10年前、考古学ファンは驚いた。これまでに類を見ない遺跡が発見されたのだ。それは、国内最大級の弥生時代の集落跡だった。見つかった場所は、鳥取県の大山山麓。その名は「むきばんだ遺跡」。正式には妻木晩田遺跡と書く。遺跡からは、さまざまな建物跡が見つかり、大集落の存在を容易に想像させた。遺跡は、発見から異様な早さで保存が決定。現在は、その一部が公開されている。遺跡跡に立つと、そこには天孫光臨を感じる大地が広がっていた。
〜日本最大とされる弥生遺跡〜
むきばんだ遺跡は、平成7年から平成10年にかけて、最初の発掘調査が行われた。このとき発見されたのは、弥生時代中期〜古墳時代前期にかけての遺物だった。人々を驚愕させたのは、その規模と質である。竪穴住居跡400棟以上、掘立柱建物跡500棟以上。そして、墳丘墓は30基以上もあった。
この時、調査されたのは156ヘクタール。これだけでも、九州の吉野ケ里遺跡より大きい。さらに、現在までに発掘されたのは、全体の10分の1程度と考えられている。いかに大規模な遺跡であることか判断できるだろう。また、周辺にある弥生時代の遺跡の内容と比べると、その質は格段に優れていた。発掘調査から現在は、こう考えられている。当時、ここには「クニ」を治める首都的なムラがあった・・・・・。考古学ファンの中には、この地を邪馬台国のルーツと推察する識者もいるらしい。
〜永い眠りから目覚めたチカラ〜
発掘調査でよみがえったのは、集落跡だけではなかったと思う。大地の底に、ひっそりと身を隠していた弥生人のエネルギー。展示室には陳列できない、目に見えぬエネルギー。遥か太古の大きなチカラをも呼び起こしたのではないだろうか。それを象徴するのが、むきばんだ遺跡の保存活動だ。発見当初から、地元の人々をはじめ全国の学識者、考古学者たちは熱心に保存を呼びかけ、シンポジウムや研究会が開催された。あの熱いムーブメントは無意識に、弥生人のエネルギーに導かれたものではなかったか?
むきばんだ遺跡の特異性は、その立地にもある。車を走らせて向かうと、周辺には何もなく、のどかな空気に溢れていた。古の神話の郷が彷佛としてくる。遺跡は、小高い丘にある。大山と孝霊山を背後に控え、眼下には水平線を見渡す紺碧の日本海。まさしく景勝地。澄んだ空気、空の色、風の匂い・・・・。ここには、弥生人の魂が今も生きている。ふっと、そんな思念に突き動かされた。大地に触れてみる。静かな鼓動が伝わってきた。
〜古代人の吐息が・・・・〜
3世紀になると、むきばんだの人々は姿を消したと云う。丘を下りて、どこへ行ったのか。出雲へ、大和へ、九州へ。歴史や考古学から考えれば、諸説あることだろう。しかし、ここはミステリアス山陰。目に見える世界だけが真実ではない。むきばんだの人々は、何らかの事情で、この3次元の世界から4次元、いや5次元、6次元にパラレルシフトしたとしたら?
現代人の目に見える「陽」の世界から、目に見えない「陰」の世界へ。その違いだけで、むきばんだの人々は今もこの遺跡で、しあわせに暮らしている。そう感じるのは、単なる妄想なのだろうか。遺跡を歩いていると、清々しい気持ちになれた。そよ風の中に、どこか懐かしい吐息を聞いた。あの恍惚感こそ、目に見えぬ弥生人が隣にいる証しではなかろうか。古代ロマン、そんな単純な言葉では語り尽くせない、静かで濃厚なエネルギーが流れていた。
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