山陰観光 旅のポータル
大山寺横の「金門」と「賽の河原」(だいせんじの「きんもん」と「さいのかわら」)
僧兵や修験者の念、亡くなった幼子の霊魂を浄化。そこは癒しのパワー溢れる信仰の聖地。
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◆ミステリアス総合評価 ★★★★

神秘性★★★★

歴史性★★★★

畏怖性★★★★★

癒し性★★★★

アプローチ難易性★★★


◆ REPORT

霊峰大山は山岳信仰を背景に、古来より“神の山”として信仰されてきた。里山の人々は大山に向かって、朝に夕に手を合わせては熱心に拝んだと云う。人々が崇拝してきた、その思念の波動を何千年にも渡って蓄積した大山は、山自体が御神体になったともいえる。そして今日でも、大山の至る所で“神の山”のパワーを感じることができる。


〜大山北壁を臨む「金門」〜
見た目にも、強烈なパワーを感じるのは「金門」。大山寺本堂の横手を上がると、一面に視界が広がる。ここは、南光河原と呼ばれる場所。その上流にあり、切り立った岩壁が迫っているところが「金門」と呼ばれている。両側には絶壁がそそり立ち、頭上からは岩盤が迫りくるかのようだ。その合間から眺める大山北壁は、堂々と鎮座し、まさに「神」のように見える。厳粛で静かなパワーをたたえて、そこに偉大なる自然という神が在すのである。


〜絶景と小鳥の声に癒される〜
その昔、その満ち溢れた聖なるパワーから、この地は「禁門」とされ、不浄の者は立ち入れない神域とされていた。また、神仏に見守られた修行場でもあり、僧兵や修験者は常識では想像もできない荒業に励んでいたと伝えられる。今もなお、切り立つ岩壁のふもとには、“僧兵荒業の岩”と呼ばれる巨岩が残っている。


この巨岩の上から飛んで、自らの勇猛さを試したそうだが、下から見上げるだけでも恐怖で腰がくだけてしまう。ここから飛び下りて、どれだけの修行者が負傷したことだろう。命を落とした者もいるはずである。しかし、遺恨の念は浮遊していないようだ。「金門」の門前で神仏に捧げた魂は、迷うこともなく浄化されるのだろう。


南光河原には『大山二羽鳥』の伝説が伝わっている。大山寺ができた時、権現の命を受けた八大龍王が岩戸を切り開いた。その時、二羽の金剛鳥が舞い下りて、仏の徳を説いたそうだ。なるほど耳を澄ませば、キセキレイやミソサザイなど、小鳥の爽やかな歌声が聞こえてくる。いつしか心は癒され、体が軽くなっていった。ふっと見上げれば、そこには大山北壁の雄姿があった。


〜霊魂を浄化する「賽の河原」〜
金門の南側にあるのが「賽の河原」である。北壁からくずれた石が、無数に堆積して広がっている。中ほどには浅瀬の川が流れ、両岸に小石が積まれている。仏教では、親より早く亡くなった幼子が親不幸をした罪によって、賽の河原で石積みをしなければならないとされている。


先立った親不幸を詫びながら、幼子がいくら小石を積んでも、地獄の鬼に崩されてしまう。小石の塔ができるまで、石積みを続けなければならない。かつて、ここではそうした幼子の霊を慰めるために、肉親が石を一つ一つ積み重ねながら詠唱したり、灯ろうを川に流したりする風習があったと云う。累々と積まれた小石が、親の切ない思いを物語っている。


「賽の河原」は、死者が通って行く所とされる、だが、大山のそれは心霊スポットというには清々しい。神域の「金門」とつながり、大山山麓の絶景の中にあるからだろう。幼子の霊も、親の切なさも、「金門」から流れくる聖なるパワーによって癒されているようだ。そしてまた、この絶景を満喫しようと訪れる、観光客の明るく朗らかな現世のパワーも浄化に作用しているのだろう。ファミリーの歓喜の声や、仲間連れなどの笑顔に安堵して、迷える霊魂も冥土へと心置きなく旅立っているような気がする。
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