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古代出雲王陵の丘(こだいいずもおうりょうのおか)
日本の歴史を紐解くキースポットがココに存在ロマンに包まれた古墳公園で歴史散策を
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古代出雲王陵の丘 (こだいいずもおうりょう おか)

中海を見下ろす丘陵には、弥生時代から古墳時代にかけて古代出雲を代表する墳墓が多数築かれています。これらは「古代出雲王陵の丘」として公園整備され、地元民憩いの場として気軽に散策できるようになりました。
国指定史跡、全国最大の方墳・造山古墳群を中心に、荒島地域は大型古墳ゾーンとして有名で、標高約50mの墳丘上からは、中海をはじめ、遠くには島根半島も一望。神秘的な古墳群を舞台に、国引き神話の世界へと誘ってくれます。
また歴史を紐解く上でも非常に重要な鍵を握り、出土した墓の形状などから「出雲東部の古墳は四角い」ということを証明。一躍クローズアップされることとなりました。


〜この古墳群から見える歴史背景〜
3世紀後半ごろ、争っていた国々はヤマト政権を中心として九州から東北地方までまとまります。その証が格付けされた巨大な墓=古墳。荒島地域の豪族は、新たなる時代の幕開けを出雲地域の盟主として迎え、その後も中海を見下ろす主陵の丘に大型の古墳を絶えることなく築いていくのです。
また、邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを出した頃、出雲・筑紫・吉備・大和・越(北陸)・尾張などの各地に小国家があり、それぞれに独自の文化を所持。出雲の王は、国のシンボルを銅剣などの青銅器から四隅が突出する墓を作り、この墳墓は越の王たちにまで広がりました。王陵の丘の四隅突出墓は、このエリアがつながる幻の日本海交流の証なのです。


〜代表的な古墳群をピックアップ!〜
大成(おおなり)古墳
国指定史跡。古墳時代前期に築かれた1辺60mもある巨大な方墳で、中央に設けられた竪穴式石室は当時の最高級の埋葬施設で排水対策など優れた土木技術で造られていました。

造山(つくりやま)古墳群
国指定史跡。1号墳は大成古墳と並んで古墳時代前期の100年間において全国で一番大きい方墳で、一辺が60m、高さ5m、2段構造が特徴。多くの人が動員されて造られたことから、葬られた豪族の権力の大きさを伺い知ることができます。公園内の眺望の広場からは中海や島根半島を一望。思わず「国引き神話」の世界に引き込まれそうです。

塩津山(しおつやま)墳墓群
国指定史跡。6・10号墓は県内最大級の四隅突出墓で、一辺30m以上、突出部を含めると40mにもなる大きなもの。出雲市の西谷墳墓群にも同様に大型のものがあり、このことから弥生時代後期には、出雲地方の東西に2大勢力があったと考えられます。1号墳はこの地に最初に造られた古墳で、四隅突出墓が特徴。山陰道のトンネルの上、築造当時の姿に復元された墳丘からは雄大な大山を望むことも可能です。週末にはライトアップも。

宮山(みややま)墳墓群
1号墳(消滅)は全長60mの出雲で2番目に大きい前方後方墳です。古代時代中期に築かれ出雲に前方後方墳が流行する先駆けとなったなった古墳でした。4号墓は弥生時代後期に築かれた中規模(18m、含突出30m)の四隅突出墓です。現在、築造当時姿に復元整備されています。

仲仙寺(ちゅうせんじ)墳墓群
国指定史跡。もともと19基からなる墳墓群でしたか、現在では2基の四隅突出墓が保存整備されています。8〜10号器墓は中規模(18m、含突出27m)の四隅突出墓ですが、昭和40年代に発見され、四隅突出墓の存在を全国に広めた存在として有名になりました。

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