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富田八幡宮
月山富田城築城の際に当地へと移築苔むした石畳の参道が荘厳な趣を今に伝える
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富田八幡宮

保元平治の頃(1156〜1159)、平家の武将・平景清が富田城築城にあたり月山山頂にあった「勝日神社」を、現在の八幡山中腹に奉遷した際「富田八幡宮」と呼ぶようになったといわれています。

祭神は「誉田別尊(応仁天皇)」が主神。
勝日神社は古事記にその記載があり、この場所で大國主命が思案していると海中に光が現われ、国土経営を助けたと言われることから、山頂に大國主命の幸魂神を山麓に大己貴を祀ったとされています。
月山富田城の建築によって、社をどこに移すか、ある夜白羽の矢を夜空に放ったところ、向こう岸の松の木に刺さったためこれを神意として現在の八幡山に移したとの逸話も。
参道は苔むした石畳が両脇の杉、欅の大樹に覆われ、荘厳さを今に伝授。
老松古杉が生き茂る長い参道、広大な境内は訪れる人は少ないものの、県文化財の指定を受ける拝殿・本殿・能面2基に、有名な拝殿天井の鳴き竜を有するなど、歴史的にも非常に興味深い社として注目を集めています。
境内には、「祇園神社」、「武内神社」、「勝日神社」など多数の神社も祀られ、それぞれに配された狛犬が印象的な趣を演出しています。

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