隣接する「出雲玉作史跡公園」の中心施設として、古代玉作りの技と歴史を紹介する全国で唯一の「玉作り」の資料館。館内には「古代出雲の玉作り」を中心テーマにした常設展示や、近世・近代の「出雲めのう細工」の伝統工芸、大正・昭和期まで行われていたメノウ細工の工具や製品などが展示されています。
宍道湖の南岸、緑の山々に囲まれた谷あいに位置する温泉郷「玉造」は古くから開けていた地域で、古くは旧石器時代のものなど、さまざまな遺跡が残っています。玉湯町の近くには、「碧玉(へきぎょく)」と呼ばれる青メノウや赤・白のメノウが豊富に採掘された花仙山(かせんざん)があり、その山麓には玉作りを営む集落が50カ所近くあったとか。中でも、玉造温泉街周辺の3地区(宮垣地区・宮ノ上地区・玉ノ宮地区)では古代玉作りの工房跡や遺物が数多く発見されており、この3つは国の史跡に指定されています。古墳時代から奈良・平安時代にかけて、勾玉や管玉などを作り出していた「玉」の一大生産地であったことが分かっており、「玉造」の地名もそのことに由来しているのです。
資料館の1階展示室では、この遺跡で見つかった発掘品を基に玉作りの歴史、製作工程などが分かりやすく展示されています。宮垣地区からは、なんと30棟近くの玉作り工房が発見され、その中から玉の原石、勾玉・管玉、丸玉といった製品の製作途中のもの、玉磨きの砥石や穴あけ用の鉄製ドリルなどが見つかっています。出土した物から、玉作りの製作工程の詳細、一つの工房で玉が一貫生産されていたこと、日常生活の場と一緒であったこと、ドリルなどの鉄製品の加工や修理もそこで行われていたかもしれないことなど、製作や生活の状況がありありと見えてくるようです。
2階には、平安時代で終わった玉作りが、江戸時代末期に「出雲めのう細工」として再び始まった歴史とその発展の様子、作業の道具や写真、作品を展示・陳列。ある職人が若狭(福井県小浜市)の技術を習得し、明治30年代には湯町村(現在の玉湯町湯町)中に広まり、村の重要な産業に発展したといいます。中でも面白いのは、原石を掘り出すところから桐の木砥で磨いて光沢を出す仕上げまで、大正時代末期に使われていた道具とその技術が詳しく紹介されているところです。
もう一つ興味深く見ることができるのは、江戸時代の中頃から玉湯町布志名地区で盛んに行われていた「布志名焼」の展示。出雲最古の窯の一つで、温かみのある黄釉が特徴です。茶人としても有名な松江藩第7代藩主・松平不昧公のときに御用窯となりました。昭和初期に廃れかけたこともありましたが、民芸運動を経て再生。現在は、4つの窯にてそれぞれ特徴のある作品が作り出されているそうです。館内では、江戸時代から今日までの布志名焼作品を系統的に展示しています。