今も江戸時代の城下町情緒を色濃く残す松江は、茶処・菓子処として全国的に有名な都市です。お茶や和菓子の消費量が全国平均を大きく上回っており、茶の湯が市民の生活の一部になっています。このように松江で茶の湯文化が盛んになったのは、「不昧(ふまい)公」の名で知られる大名茶人、松江藩第7代藩主・松平治郷(はるさと)公の影響だといわれています。不昧公は18歳で茶の道に入りましたが、茶人としてたぐいまれなる才能を発揮し、後に自らの流派である「不昧流」をうちたてた人物。公の茶人としての活躍により松江城下には茶道具の名品や銘菓が数多く生まれ、広まり、現在に至るまで伝わってきているのです。
ここ「田部美術館」は、そんな不昧公の愛蔵品や公自らが手がけたという書、花入、茶杓といった貴重な品々、郷土の焼き物である楽山焼、布志名焼などが展示されている、お茶好きな人にはたまらない茶道具美術館です。
館の創始者は、奥出雲の山林大地主であった田部家の第23代当主「田部長右衛門」。若くして島根新聞社(現・山陰中央新報社)社長に就任、衆議院議員に立候補すれば圧倒的な支持を集め、その後島根県知事を3期も務めるといった地元の名士でした。田部氏の活躍は、政財界だけではありませんでした。自らも絵や焼き物、茶に親しんだ素晴らしい文化人で、田部家が私有する美術品を広く一般に公開して地城の文化振興に役立てたい、貴重な文化的財産を後世に伝えたい、と強く願っていたのです。そこで、田部家に伝わっていたコレクションの中から茶道にかかわりある物を中心に自らがチョイス、設立した財団法人に寄付して“美術館開館”を目指していきました。残念なことに、夢の実現を目前にしながら田部氏は亡くなってしまったそうですが、その2カ月後の昭和54年(1979年)11月、念願の美術館はめでたく開館を迎えたのです。
美術館が建っているのは、松江城北側のお堀端、武家屋敷が軒を連ねる「塩見縄手」と呼ばれる通り。入口は武家屋敷特有の「長屋門」になっており、江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気の通りに馴染んだ造りで出迎えてくれます。庭園を望む回廊を進むと、日本を代表する建築家、菊竹清訓氏が設計したという本館に着きます。
天井には田部家の山林から切り出した松で作った松練り合板、床にフランス製磁器タイルを使用した館内は、茶色と白のコントラストが実に美しく、独特の趣と落ち着きがあります。1階には、楽山焼、布志名焼等を陳列した第1展示室、休憩室、ミュージアムショップが。季節ごとのテーマに沿った茶道具の組合せ展示などが行われる第2、第3展示室は、スラリと延びるスロープと階段を上がった2階に。不昧公の茶道具コレクション目録『雲州蔵帳』に記されたものや「不昧公お好み道具」と呼ばれる貴重な品々を中心に飾られ、“茶の心”が静かに語りかけられてくるようです。
毎春、館主催の田部美術館大賞「茶の湯の造形展」を開催。新しい茶の湯道具を追求した陶芸作品を募集、厳正な審査により優秀な作品が選び出され、賞されます。陶芸作家の登竜門として知られており、入賞、入選作品は美術館に展示。独創的なものやモダンなものなど、見応えのある陶芸品を鑑賞するため多くの人が訪れています。