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出雲玉作史跡公園
古代出雲最大の“玉作り”集団がここに!竪穴式住居や工房跡で古代人の営みを体感
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出雲玉作史跡公園


玉造温泉街一帯は、その名前からも分かるとおり、古墳時代から奈良・平安時代にかけて勾玉や管玉など「玉」の一大生産地だった地域。温泉街を見下ろす丘陵上にある宮垣地区もその一つで、玉作りが盛んに行われていた証しとなる遺物が数多く発掘された場所です。その貴重な遺跡を保存、そして広く一般に公開するために整備されたのがこの史跡公園なのです。温泉街をさらに奥へ進んだ宮ノ上地区、玉ノ宮地区でも玉作りの遺跡が発見されており、3地区すべてが国の史跡に指定されています。


玉湯町の近くにそびえる標高約200mの花仙山(かせんざん)は良質なメノウの産地で、「碧玉(へきぎょく)」と呼ばれる青メノウや、赤・白のメノウを豊富に採掘することができました。山麓には、玉作りを営む集落が50カ所近くあったとか。史跡公園のある宮垣地区はこの花仙山の西南のふもとに位置しており、昭和44年と46年に行われた発掘調査で30棟近くの玉作り工房が発見されたのです。さらに、原石や未完成の玉、玉磨きの砥石、穴開け用の鉄製ドリルなど、数万点にも及ぶ遺物を出土。この大発見によって、ここでの玉作りが荒割から仕上げまで一貫生産で行われていたことや詳しい作業工程、玉作りの場が日常生活の場と一緒であったことなどが明らかになったそうです。


約2.8haという広大な史跡公園には「竪穴式住居」が復元され、この丘陵地で生き生きと暮らしていた古代人たちの様子が目の前に見えるようです。また、発掘したままの工房を露出展示した円すい形の覆屋、工房があった位置を示す台座、記加羅志(きがらし)神社跡古墳などが点在し、玉作りの文化が確かにこの場に根付いていたことを現代の私たちに伝えています。


ちびっこ広場やテニスコートを備えた憩いの広場でもあり、道を隔てた向こう側には「出雲玉作資料館」も。資料館では、史跡公園一帯から発見された出土品を多数展示。また、近世・近代における「出雲めのう細工」の歴史やその発展、出雲最古の窯の一つである「布志名焼」の紹介もされています。 

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