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江美城跡(えびじょうあと)
地元民に愛された戦国武将・蜂塚氏の居城500年の伝統「こだいぢ踊り」が伝える悲運の歴史
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江美城跡(えびじょうあと)

伯耆(ほうき)の国江美城(えびじょう)は、戦国時代の山城で、日野郡を代表する中世城郭。
文明16年(1484年)蜂塚安房守(はちづかあわのかみ)の草創と伝えられ、二代三河の守(みかわのかみ)、三代丹波守(たんばのかみ)、四代右ヱ門尉(うえもんのじょう)と蜂塚氏一門の居城でありました。
しかし尼子・毛利合戦の中で落城。その後毛利氏により管理されるも江戸初期に廃城となりました。
現在でも山城遺構の全体がよく残っており、それぞれの郭の状況を確認することができます。
江美城跡の一角には、八幡丸跡に城郭を模して建設された資料館「江府町民俗資料館」もあり、夜間はライトアップされ江尾の町のシンボルともなっています。

蜂塚氏は、初代城主以来、代々鉄穴(カンナ)、また鉄山(製鉄)と開田稲作作りの技法を家伝とし、鉄山・稲作地帯を守護する強力な武力集団としても特色ある一門を形成。
盂蘭盆十七日の夜には城門を開放し、町民や農民たちが自由に場内を出入りすることを許し、無礼講として、盆の供養と豊年を祈る踊りと力くらべの「力角」で一夜を明かすことを常としていました。
しかし四代・右ヱ門尉が城主となった永禄8年8月6日(1565年)、毛利方三千の大軍を迎え討ち、尼子との信を守って決戦の末、蜂塚一門は全員城を枕に討死。江美城落城とともに、四代八十余年続いた蜂塚氏は、ここに悲運の終わりを遂げたのです。


江尾十七夜

地元民に愛されたお殿様4代
その思いは500年続く伝統の舞へ

落城の後、毛利の支配下となった城下の住民たちが、蜂塚氏在城の頃を慕い悲しみ、また毛利の非情に物云う如く、くる年もくる年も盆の十七日の夜を忘れず、城跡の草むらに集っては念仏の心を抱き、踊り伝えてきたお祭りが「江尾十七夜」。
すでに500年の歳月、守り続けられてきている伝統のお祭りです。
そんな祭りの一番の主役が、太鼓と音頭にあわせ、城主を偲び地元民が夏の夜に舞う伝統の「こだいぢ踊り」。
この哀しくもゆかしい物語が、今もなお、江尾十七夜として続いているのです。この踊りは、歴史とともに無形文化財として指定を受け、保存会も結成され、地元の夏を締めくくる夏祭りとして今も変わらず愛され続けいています。

懐かしさを思う田舎町の郷土祭
江尾十七夜 フォトギャラリー

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