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名和公ゆかりの史跡めぐり
後醍醐天皇と名和長年 固い絆で描かれた太平記の逸話ゆかりの史跡巡りで、歴史ロマンにふれる
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名和公ゆかりの史跡めぐり

後醍醐天皇を隠岐島から迎え、一族郎党を率いて船上山に立てこもり、王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年公。以下一族42名の英魂を祀ったという元別格官弊社がこの「名和神社」です。
神社の規模としては鳥取県内でも最大級を誇り、明治16年に初めて参道に桜が植えられて以来、広大な境内は、山陰有数の“サクラのトンネル”としても有名。こちらでは、太平ロマンを振り返り、往時を偲びます。

名和神社のほかにも、後醍醐天皇が隠岐から脱出、体を休めるため腰かけたと言われる「後醍醐天皇の御腰掛の岩」や、名和長年の墓と伝えられている「三人五輪」(首塚)、弓が大変上手だった長年がたくさんの稽古をしたと言われるタテ170cm、ヨコ150cmの大きな「的石」に、今から約680年前、名和長年が父・行高の60才を祝って建てた隠居所が始まりとされる「長鋼寺」などなど周辺にはゆかりの地がいっぱい。
時は鎌倉幕府が終わりを告げた1300年代。
主人公の2人を思いながら、しんみり歩いてみるのも楽しいかもしれません。



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