霊峰大山のシンボルとも言うべき「大山寺」、そして「大神山神社奥宮」。
博労座駐車場に車を止め、老舗旅館が建ち並ぶ参道を越えれば、そこからが霊験あらたかな歴史の舞台、そして大自然に囲まれた古の散策道です。
大山は古来より“神在ます山”とう意味の「大神岳(おおかみのたけ)」と呼ばれていました。大山信仰の始まりは約1300年以上の前までさかのぼり、人を寄せつけぬ険しさと氣の引き締まる山の霊気にひかれた行者達の荒修行の場として崇拝され、金連(きんれん)上人により、養老2年(西暦718年・奈良時代)には「大山寺」が開創・創建。
平安時代になると天台宗の寺院が次々と建立され、鎌倉時代から室町時代にかけての大山寺は隆盛をきわめ、100を超える寺院(160ともいわれています)を抱え、高野山金剛峯寺(和歌山県)や比叡山延暦寺(滋賀県)と並ぶ大寺とされ、「大山僧兵3000人」と言われるほどの勢力を持つまでになりました。境内には、様々な国・県の重要文化財を収蔵。一般公開も行われるので、こまめに情報をチェックする必要あり。そのタイミングに合わせプランを組み立てるのも楽しいかもしれません。
一方で、「大神山神社奥宮」。
こちらは大山寺へと向かう参道沿い、石畳の離れ道を入った600mほどにある古社で、全国最大級の壮大な権現造りを誇る社殿で有名。もともとは、僧が修験のために大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりとされていますが、創建・開創は、出雲風土記、延喜式などに記載はあるものの不明とされています。お祭りで大活躍の神輿は西日本最大級の規模。
〜大神山神社奥宮で見つけた三つの「日本一」〜
(ココがすごいぞ日本一)
◎自然石を敷きつめた国内最長700mの参道
◎国内最大の権現造りの社殿
◎幣殿の白檀の漆塗りの荘麗さ
〜大山道と大山参りの歴史〜
大山寺参拝の起点・博労座では、
西日本一の盛大な牛馬市も開かれていた
大山寺にある地蔵菩薩は「牛馬守護の仏」とされ、農業神としても大山信仰が盛ん。
山陽地方では、本参りといわれる「伊勢参り(三重県伊勢神宮)」の前に、奥参りとして出雲大社・美保神社・大山参りが行われており、大山へ通じる道は、大山へ向かう方向により「坊領道(ぼうりょうみち)」、「尾高(おだかみち)」、「溝口道(みぞぐちみち)」、「横手道(よこてみち)」、「川床道(かわとこみち)」と呼んでおり、これらの道を総称して「大山道(だいせんみち)」と表現しています。
また、大山寺参道ふもとの博労座では、江戸時代から牛馬市が開かれており、明治時代には西日本一と言われるほどの盛大な牛馬市を開催。大山寺境内には牛の鼻ぐり(鼻輪)の銅を鋳造して慰霊のためにつくられた、牛の銅像「宝牛(別名 撫牛)」があり、一つだけ願いを込めてこの牛を撫でると願いが成就するという逸話も残されています。
絶景フォトが盛りだくさん。次回は現地で会いましょう!
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